企業再生を成し遂げ、そしてボケた老社長の話
私が公庫を退職して10年が経ち、守秘義務が解除されました。とはいえ、そのまま書けば関係者が分かってしまうものもありますので、このシリーズでは話せない部分には嘘を混ぜています。実話が六、作り話が四。そういう「実録もの」として読んでいただければと思います。
今回お話しするのは、岐阜県にあった老舗のお菓子メーカーの話です。会社名は「長良川製菓」としておきます。もちろん仮名です。
老舗菓子メーカーの窮境
長良川製菓は、かなり古い会社でした。観光地や駅、サービスエリアなどに並ぶ、いわゆるお土産物のお菓子を作っていたメーカーです。地域名を冠した箱入り菓子をメイン商品としていました。
ただ、私が再生担当として関与した時点で、会社の状況はかなり悪くなっていました。収支はギリギリで借入過多。メインバンクは地元の第一地銀でしたがリスケで繰り回しているような状態でした。そこで出てきたのが、中小企業活性化協議会、当時の名前は中小企業再生支援協議会でしたが、これを活用した抜本的な企業再生を検討することになりました。
「抜本的な企業再生」、略して「抜本再生」「抜本策」、時には「抜本」とまで略されることのあるこの手法は私的整理の一種で、経営責任・株主責任・保証責任などの追及と合わせて金融機関に債権カットなど直接的な損失の出る支援策を実施させることで、事業を残し雇用を残すというものです。
ところが、この話に猛反発したのが社長でした。当時、社長は78歳。何十年も会社を切り盛りしてきた人です。会社は自分が守ってきたものだという強い自負があったようです。
この社長、とにかくパワフルでした。
再生案件に入ると、経営者はしょんぼりしていることが多いものです。資金繰りに追われ、金融機関に頭を下げ、会社の将来を他人に預けるような話になるわけですから、無理もありません。
しかし、この社長は違いました。主張する。交渉する。一歩も引かない。声も大きい。押しも強い。金融機関にも専門家にも、遠慮なく食ってかかる。私は内心「こういう元気を事業に向けていれば再生なんかならなかっただろうに」と思っていました。
窮境原因は、やっぱり社長
社長は非常にエネルギッシュな人物でしたが、それは会社を追い込んだ原因でもありました。やり方が古かったのです。昔ながらの伝統的なお菓子を守るという意志が強すぎたため、時代の変化に対応できなくなったのです。
「これでやってきた」
「昔からのお客さんがいる」
「うちの商品は悪くない」
そういう発想から抜け出せていませんでした。商品力もじわじわと低下しており、新商品開発や売り方の再研究が必要な状況でしたが、手を打っていませんでした。そのため再生においては経営者の交代が必須と判断されました。今でこそDIP型といって旧経営陣が居座るタイプの私的整理も出てきていますが、当時は経営者はクビ!というのが当然という風潮でしたね。ましてや本件は債権カット案件でしたから。
金融機関に債権カットを求める以上、旧経営者がそのまま残るわけにはいきません。責任の問題もありますし、何より同じ経営者が同じ考え方で続ければ、また同じところに戻ってしまいます。
企業再生は社長再生という言葉がありますが、中小企業は経営者の人格で成り立っている部分が多分にあります。経営者自身が現状を見つめ、環境変化をとらえ、自己変革していかなければ企業は立ち行きません。それが出来なければ事業は衰退するか、淘汰されるかです。
老社長大暴れの巻
ところが、老社長はこれに強く反発します。外部から経営者を招聘する銀行案を蹴り、自分が会社をコントロールすることにこだわったのです。メインバンクも呆れ、驚き、説得に回りましたが結局話がまとまらず、このままでは破産しかないかと思われました。
その時、社長が別ルートでスポンサーを見つけてきたのです。「木曽川製菓(これも仮名)」という同業者で、規模は長良川製菓よりも大きな会社です。木曽川製菓が子会社を設立し長良川製菓の事業を買収、長良川製菓は社名を変更して特別清算するというプランでした。
さらに社長は、自分の孫を新会社の社長にするよう要求、木曽川製菓もそれを条件に再生を進めるよう債権者団に求めてきたのです。再生支援協議会も半分呆れていましたが、買収金額を上乗せして金融機関に不利にならない形とすることで、何とか各行とも稟議決裁に動きましょう、という形になりました。
その時、もう一度社長が動いたのです。
ある日、債権者各行の本店に、つまり私が在籍していた日本政策金融公庫の場合は大手町の本店に電話がありました。とある大物政治家からです。自民党政権でも民主党政権でも入閣経験があり、金融法制に積極的に関与した人物です。
「長良川製菓の件、よろしく頼む」
所詮は国営企業、本部は大騒ぎになり私の上司に連絡が入り、書類をコピーして速達で送らされ、おそらくは「ご説明」の書類が作られたのだと思います。私も状況を聞かれましたが、既に合意する方針で進めていたのでこれで特段の問題が起きることはありませんでした。
話は横にそれますが、政治家が圧力をかけることで通る融資ってないんですよね。気持ちちょっと気にするぐらいのことはありますが、判断を覆すほどの力はないです。大物政治家ほどそういうことを分かっているので圧力をかけるタイミングが上手いです。あらかじめ方向性が全て決まって動いているタイミングでスッとかけてくる。なので「圧はかかった」「融資は通った」「内部判断は変えてない」が全て成立する。この大物政治家や、お金持ちで有名な別の大物政治家は上手いです。女性政治家は概して下手くそで、とある先生は「〇〇案件」なんて言われていたり・・・いやいややめましょう。
とにかく、長良川製菓の老社長は最後まで執念深く自社を守ろうとしていました。そして、再生計画が成立し、私的整理が実行されました。
社長、ボケる
こうして長良川製菓の事業は新会社に譲渡されました。スポンサーである木曽川製菓が株主となり、老社長の孫が新社長に就任する形で、事業は何とか残りました。一方で、旧会社は特別清算準備に。そして、老社長個人についても、最終的には自己破産してもらうことになりました。
ところが、旧会社の特別清算が開始し、老社長の個人破産が始まった頃から、社長の様子が変わってしまったのです。
認知症の症状が出始めたのです。それも急速に。
それまで張り詰めていたものが、ぷつんと切れてしまったのかもしれません。会社を守る。孫に継がせる。事業を残す。その一点だけで動いていた緊張の糸が、手続きの終了とともに切れてしまったように見えました。
老社長は時々、私のところに電話をかけてくるようになりました。用件があるのかと思って電話に出ると、そうではありません。昔の話をするのです。それも、まるで今起きていることのように話します。昔の取引先のこと。商品のこと。再生手続きへの協力への感謝。今でも自分が経営を続けているかのような発言もありました。仕事中に一時間近く話し続けることもありました。
あの激しい交渉をしていた社長。
金融機関に食ってかかっていた社長。
孫を社長にすると言って一歩も引かなかった社長。
有力者まで動かして、最後の最後まで会社を残そうとした社長。
その人が、手続きが終わった途端に、過去の中を生きるようになってしまったのです。
老社長にとって長良川製菓は自分の全てだったのでしょう。それゆえ執着し、抵抗し、自分の満足いく形で終わらせることを望んだ。そうして全てを手放した後は完全に気力を失い、認知症になってしまったのでしょう。
経営者の最後の執念というものを、私はこの案件で確かに見ました。

