実録!企業倒産の現場から 第3話

企業再生支援

無借金を目指さなくていい。会社を次代につないだ塗装会社の話

今回取り上げるのは、「枚岡塗装」という大阪府内の塗装会社です。粉体塗装を主力に、通常の塗装も手がけていた町工場でした。

この会社の社長とは、融資担当として関わる中で、少し親しくさせていただいていました。塗装に使うシンナーを在庫していたら中毒者に盗まれた、というような生々しい話を聞いたこともあります。

枚岡塗装は、当時それなりに大きな工場を構えていました。業績は決して良いとは言えませんでしたが、加工賃仕事を中心に、何とか事業を回していました。収益力は高い方ではなく、財務的にはとにかく借入負担が重い会社で、工場と塗装設備と見合いの借入金がなかなか返済できないでいる、という状況でした。

ある日、その社長が相談に来ました。いつもより顔色が悪い。明らかに思い詰めた表情でした。そして、ぽつりとこう言いました。

「諸さん、会社というのは、無借金を目指さないといけないんですか」

その言葉を聞いた瞬間、私は慎重に答えなければいけないと思いました。ちょうどリーマン・ショックの直後で、製造業が大変な事になっている時期でした。他行は自宅を担保に取っている、連帯保証も当然入れている、試算表はまだ見ていないが業績が低下していないはずはない。うっかり答えると首を吊るかもしれないと思いました。

借金は返さなくていいんです

「いえ、社長。借金は返さなくていいんです」

社長は少し驚いた顔をしました。

私は続けました。

「私たちは、金利で食べているので、誰かにお金を借りてもらわないと困るんです。金利を一番払ってくれる人が、一番いいお客さんなんです。だから、無借金なんて目指さなくていいんですよ」

もちろん、これは半分は本音で、半分は社長を安心させるための言葉でした。借金は少ない方がいい。返せる見込みのない借金は、会社を苦しめます。しかし、借金そのものが悪なのではありません。事業を続け、利益を生み、雇用を守るための借入であれば、それは会社経営に必要な道具でもあります。

その言葉を聞いて、社長は少し落ち着いたようでした。そして、ぽつりぽつりと会社の状況を話し始めました。

結果として、枚岡塗装はリスケに入りました。返済条件を見直し、何とか会社を存続させる道を選んだのです。

その後、社長は大きな工場を引き払い、小さな貸し工場へ移転しました。規模を縮小し、固定費を下げ、儲かる仕事だけを選ぶ。採算の合わない仕事からは手を引く。会社を大きくするのではなく、まず黒字を出せる形に作り替える。そういう選択でした。

これは、企業再生の現場では非常に重要な判断です。

多くの経営者は、売上を落とすことを怖がります。工場を小さくすることを敗北だと感じます。しかし、赤字のまま大きな売上を追いかけても、会社は持ちません。まずは、黒字が出る形に戻す。自分と家族、従業員が食べていけるだけの利益を確保する。それが再生の第一歩です。

ただし、規模を縮小すれば、当然ながら借金の返済力は落ちます。

枚岡塗装もそうでした。小さくして黒字は出るようになった。しかし、過去の借金を返していくには、事業規模が小さすぎる。社長はまた別の悩みを抱えることになりました。

その後、私の担当は終わり、その会社との縁も切れました。正直に言えば、私はその後の枚岡塗装がどうなったのか、長い間知りませんでした。

そして今

ところが最近になって、この会社のモデルとなった会社が、今も続いていることを知りました。しかも、息子さんが事業を引き継いでいました。

あるメディアで、その息子さんが話していたのです。親から多額の借金を抱えた会社を引き継ぐことへの悩み。これをどう返していくのかという不安。そして、先代である父親から「大きな借金をするな」「大きなビジネスを目指すな」と言われていたこと。

借金で苦しんだからこそ、息子には同じ苦労をさせたくなかったのでしょう。大きな勝負をするな。無理をするな。小さくてもいいから、堅実に続けろ。そういう思いだったのだと思います。

しかし、息子さんは違う道を選びました。

会社をもっと大きくしたい。借入金を整理し、リスケ状態を解消し、もう一度金融機関から借りられる会社にしたい。そして、再び事業拡大へ向かう。

そう考え、実際にその方向へ進み始めたそうです。これは、とても良い話だと思いました。先代は、会社を潰さなかった。苦しい中で事業を小さくし、黒字を作り、次の世代に渡せる形を残した。そして次世代は、その残された会社を土台にして、もう一度成長を目指している。

企業再生というと、劇的な復活を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、本当の再生は、もっと地味です。赤字を止める。固定費を下げる。儲からない仕事をやめる。小さくても黒字が出る形にする。そして、次に託す。

私が話していた先代社長は、少し前に亡くなられたそうです。あの日、青い顔で「無借金を目指さないといけないんですか」と聞いてきた社長の姿を、私は今でも覚えています。

私が公庫を退職してから10年が経過し、守秘義務との関係で、当時は話せなかった案件についても、今では一部を語ることができるようになりました。それでも企業名、人物、地域、細かな経緯などは必要に応じて変え、フェイクも混ぜています。

ここに書く話は「実録」ではありますが、完全なノンフィクションではありません。実話が6、作り話が4。そんな読み物として受け取っていただければと思います。