実録!企業倒産の現場から 第4話

企業再生支援

そしてブランドは潰れた

今回取り上げるのは、愛知県にあった納豆メーカー、春日納豆の話です。

春日納豆は、地元ではそれなりに知られた会社でした。全国的な大企業ではありませんが、地域の人にとっては「ああ、あの納豆ね」と分かるような存在です。独自のブランドを持ち、昔からの根強いファンもいました。

ただし、会社の内情はかなり厳しいものでした。倒産の何年も前から、本業である納豆製造の業績は悪く売上は毎期減少、経費は賄えず本業赤字、更新投資の資金もありませんでした。

それでも会社がすぐに倒産しなかったのは、本業以外の収入があったからです。春日納豆は今よりも企業規模がはるかに大きかったころに整備した駐車場を所有しており、それを運送会社に貸していました。この賃料収入が、会社全体の資金繰りを支えていたのです。

つまり、納豆ではあまり儲かっていない。けれども、駐車場収入があるから何とか会社として持ちこたえている。そういう状態でした。

中小企業では、こういうことがよくあります。本業は苦しいのに、昔から持っている不動産や副収入で全体の収支が成り立っている。外から見ると事業が続いているように見えますが、実際には非常に危うい状態です。

なぜ会社が窮地に陥ったのか

春日納豆が大きく信用を失うきっかけになったのは、原材料に関する問題でした。国産大豆を使っているという表示で販売していた商品に、アメリカ産の大豆が混ざっていたという問題が発覚したのです。

当時の経営者や従業員の印象からすると、意図的に悪質な偽装をするような人たちだったのかというと、私はそうは思い切れませんでした。もしかすると、仕入れや製造の過程で、何らかの混乱があったのかもしれません。本当のところは分かりません。ただ私の中では、「悪意を持って消費者をだました会社」というより、「管理の甘さや経営の弱さが、取り返しのつかない形で表に出てしまった会社」という印象が残っています。

しかし、消費者はそうは見ませんでした。我々を騙した会社、管理が甘く何が入っているか信用できない会社。そのように見られ取引も大きく縮小しました。春日納豆の業績はさらに厳しくなりました。

それでも、すぐに倒産したわけではありません。駐車場収入があり、ブランドへの愛着もあり、何とか再建できないかという話もありました。商品そのものに一定のファンがいる以上、会社をどう立て直すかという議論を、返済プランを見直しながら債権者と話し合っていました。

会社の終わりは突然に

ところが、そこに決定的な出来事が起きました。

火災です。

しかも、火災が起きたのは納豆工場ではありませんでした。会社の資金繰りを支えていた駐車場の方に被害が出たのです。

これは痛恨でした。

納豆事業が赤字でも、駐車場収入があればこそ全社として一定のキャッシュフローが確保できていたものが、完全に止まってしまったのです。資金繰りは風前の灯でした。

私は、何とか事業を残す方法はないかと考えていました。特に、春日納豆のブランドには価値があると思っていました。会社そのものを残すことは難しくても、商標や製造ノウハウ、得意先、ファンとの関係をどこかに引き継ぐことができれば、完全に消えてしまうことは避けられるのではないか。

そこで私が考えたのは、当時まだ多くは無かったM&Aです。会社をどこかに売ろう。そのための行動を開始しよう。この提案を社長に伝えるべく電話をしました。ところが、その時の社長の反応が、どうもおかしかったのです。

「いや、それはもういいんだ」

そんな趣旨のことを言われました。私は少し引っかかりました。普通であれば、再建や事業譲渡の可能性があるなら、話だけでも聞こうとするものです。しかし、電話口の雰囲気から、何かがすでに決まっているような感じを受けました。

その数日後、会社に電話をしてもつながらなくなりました。

これはまずいと思い、すぐに現地へ向かいました。会社に着くと、そこには破産を知らせる張り紙が貼られていました。

倒産余話ー信用調査会社より先に倒産情報を掴む

大きな会社や有名な会社が倒産しそうだ、という情報は、実は信用調査会社が日々探し回っています。第2話に出てきた豊明工業は、倒産の数ヶ月前には信用調査会社から「ここは危ない」という情報が回されていました。

ところが春日納豆の倒産情報は、信用調査会社がまだ把握していなかったのです。私が現地で破産の張り紙を見た段階で、まだ情報が出ていませんでした。そこで私は、とある信用調査会社の担当者に連絡しました。結果的に、私はこの会社の倒産情報を最初に伝えた人間のような形になりました。

信用調査会社の人には、ある意味で喜ばれました。火事が起きたことは知っていたものの、倒産するとは思っていなかったようで、同業者よりも先に速報を出せた、と言っていました。

救えなかったブランド

私は今でも、あのブランドだけでも何とか残せなかったのかと思うことがあります。

会社はなくなっても、商品名や味、地域の記憶だけは残せることがあります。事業再生やM&Aの現場では、会社全体を救えなくても、一部の事業やブランドを次につなぐという選択肢があります。

しかし、そのためには時間が必要です。相手を探す時間、条件を整える時間、権利関係を整理する時間、経営者が決断する時間。その時間が尽きてしまうと、どれほど惜しいブランドであっても、消えてしまいます。今回の火災のように、思いがけないトラブルが会社を潰すこともあります。企業再生にはなるべく早く進まなければなりません。

今、当時のブランド名で検索してもどこかの会社が承継したとか、限定であっても復活したとか、そういう話は出ていません。春日納豆のブランドは歴史の中に消えてしまいました。

私が公庫を退職してから10年が経過し、守秘義務との関係で、一定の範囲ではお話しできるものが出てきました。企業名、人物名、取引先、細かな数字や出来事については、今なお話せないこともありますが、本シリーズでは、実話を土台にしながら、必要に応じて仮名や脚色を交え、「実話が6、作り話が4」くらいの実録ものとして書いていきます。