実録!企業倒産の現場から 第5話

企業再生支援

リストラしない会社、リストラした会社

私が日本政策金融公庫を退職してから、すでに10年が経過しました。守秘義務との関係で、当時は口にできなかった話の中にも、今ではある程度お話しできるものが出てきました。とはいえ、現在も事業を続けている会社もありますし、関係者の方々もおられます。ですので、この「実録!企業倒産の現場から」では、話せない部分には嘘を混ぜています。実話が6、作り話が4くらいの割合です。企業名もすべて仮名です。

今回は生き残った会社の話

今回は、倒産した会社の話ではありません。リーマンショックという巨大な不況の中を、どうにか生き残った二つの会社の話です。一つは、従業員に対して「リストラはしない」と宣言した会社。もう一つは、100人規模の派遣切りを断行した会社。まったく逆の判断に見えます。しかし、どちらにも共通していたのは、社長が腹をくくっていたことでした。

「リストラはしない」と言い切った石切旋工

一社目は、石切旋工という会社です。東大阪にある、機械部品を作っている会社でした。この会社もリーマンショックの時には大きな打撃を受けました。受注は、まるで蛇口を閉められたように止まりました。昨日まで普通に入っていた注文が、急に消えていく。取引先に電話をしても、返ってくるのは「しばらく様子を見たい」「次の発注は未定です」という言葉ばかりでした。

ただ、石切旋工はもともと非常に優良な会社でした。売上も利益も安定していましたし、内部留保も厚い。借入金もほとんどありません。金融機関から見れば、こういう会社にこそ融資したい、という会社でした。

その石切旋工の社長が、ある日、全従業員を集めました。工場の機械音を止め、作業服姿の従業員が集まる中で、社長はこう言いました。

「最近、受注が減っている。経済情勢が大変なことは理解していると思う。だがうちは5年分の現預金を持っている。だからリストラはしない。この苦境は、みんなで乗り切る。安心して仕事をしてほしい」

この言葉は、従業員に強烈に響きました。リーマンショック当時、毎日のように人員削減の話が出ていました。新聞にも、テレビにも、派遣切りや雇い止めのニュースが毎日のように流れていました。いつ自分たちがそんな目に遭うか分からない。そんな中で、自分の会社の社長が「リストラしない」と言い切ったのです。

現場の空気は変わりました。仕事がなければ誰かが掃除を始める。誰かが段取り改善を提案する。ベテランが若手に機械の癖を教える。受注が減って時間が空いた分、普段は後回しになっていた改善活動が始まりました。不況の中でも会社はいきいきと動き、ショックを乗り越え、回復期には業績はV字回復を超えてさらに伸びました。不況の中でも、会社と従業員の信頼関係がある。こういう会社は強いのだろうと思いました。

裏にあった社長の覚悟と決断

ところが、あとでよく聞くと、少し事情が違いました。石切旋工は確かに超・優良企業ではありましたが、その時点で本当に持っていた現預金は売上の5年分ではありませんでした。実際には、せいぜい1年分ほどです。

では、残りの4年分はどうしたのか。社長は、金融機関を片っ端から呼んだのです。

「リーマンショックで、この先どうなるかわからない。今のうちに運転資金を厚くしておきたい」

無借金経営の会社ほど借入を嫌がります。無借金ではなくなることを「会社に傷がつく」と言ったり、銀行との付き合いで融資を受ける際にも、決算を跨がないような短期融資を選択して決算書に借入金が残らないようにする企業もあります。

しかし、この社長は違いました。明らかに不要なほどの借入を起こし、翌年の決算には年商の何倍もの借入が載りました。そして同額の普通預金も。借りたお金は、各金融機関の預金口座に積み上げていました。会社を潰さないため、従業員をリストラしないため、「5年分の現預金」を用意したのです。

派遣切りを実施した稲田トランジスタ工業

もう一社は、稲田トランジスタ工業という会社です。こちらも東大阪の会社で、半導体関連製品の製造をしていました。半導体業界はリーマンショックで特に大きな打撃を受けた業界です。稲田トランジスタ工業は中小企業でしたが、大手メーカーの仕事に合わせて九州にも工場を持っており、そこでは多くの派遣社員を雇用していました。こちらももともとはかなりの高収益企業でした。

しかし、リーマンショック後、状況は一変します。発注が止まり、ラインが止まり、人が余る。それでも人件費は固定費としてのしかかる。

稲田トランジスタ工業の社長は、そこで派遣社員の契約を一気に整理する判断をしました。人数はおよそ100人です。当然現場は荒れ、労働争議に発展しました。説明会では怒号も飛んだと聞きました。それでも社長は最終的に派遣切りを押し切り、100人ほどを解雇したのです。

2週間遅れたな

私がこの会社で印象に残っているのは、決算書を受け取りに行った時のことです。社長は、いつものように淡々と決算の説明をしていました。表情はあまり変わりません。売上が落ちた、赤字になった、資金繰りはこうなる、来期の見通し。数字を指しながら淡々と説明していました。その途中で、社長がぽつりと言いました。

「2週間遅れたな」

私はその時、その言葉の意味がわかりませんでした。派遣切りの判断が2週間遅れた、という話だろうとは思いました。しかし、どこか他人事のようにも聞こえました。厳しい社長だな、くらいに思っていました。

ところが、会社に戻って決算書を精査していると、ある数字に目が止まりました。赤字額です。その赤字額が、どうも派遣社員100人分の2週間分の人件費と、ほぼ一致していたのです。その瞬間、社長の言葉の意味がわかりました。

派遣切りが2週間遅れたため、会社が赤字になったのだという意味だったのです。稲田トランジスタ工業は高収益企業ではあったものの借入金が多く、金融機関からの支援なしでは資金繰りが回らない会社です。リーマンショックの中で金融機関の経営が危機に瀕する中、金融機関の支援が止まるというのは死刑宣告です。

この社長は、100人の生活を切ったことを軽く見ていたわけではないと思います。ただ、それ以上に、会社全体が沈むことを恐れていました。判断が遅れれば、会社が潰れ、派遣社員も正社員も守れない。社長の頭の中では、それがすべて数字になって見えていたのだと思います。最終的に稲田トランジスタ工業もショックを乗り越え、生き残りました。モデル企業は現在も存続しています。

二つの会社にあったもの

石切旋工と稲田トランジスタ工業。どちらが正しいかを、簡単に決めることはできません。ただ、一つだけ言えることがあります。危機の時に、経営者は何かを決めなければならないということです。何も決めず、様子を見ているうちに、会社はどんどん悪くなります。資金は減り、信用は落ち、選べる手段も少なくなっていきます。

石切旋工の社長は、先に資金を集めました。稲田トランジスタ工業の社長は、損失を止めました。やり方は違っても、どちらも社長が自分の責任で決めています。経営判断は、いつも美しいものではありません。しかし、危機を乗り越える会社には、必ずどこかで腹をくくった決断があります。