既に会社はなかった
この案件の会社名はもう覚えていません。私が担当として受け持った時点で、既に企業の実態が喪われていた先です。取引は1回のみ。浜松市にあった企業で、最初の融資を行ってからそれほど時間が経たないうちに倒産してしまった会社です。担保は社長の自宅です。
社長は連帯保証人でもありましたが、弁護士に委任したまま行方不明になってしまいました。こちらから直接会うこともできません。自宅はすでに引き払っており、賃貸に移ったのか、親戚の家に身を寄せたのか、それすら分からない状態でした。
困ったのは、弁護士がまったく話を前に進めてくれないことでした。債務者から破産の相談を受け、「破産準備に入りました」という受任通知を債権者に送る。そこで仕事をストップしてしまうんですね。これをやると債務者は取り立てが来なくなるので楽ですが、その後の手続きを一切進めないので、破産手続きで借金が整理されることもなく、再就職しても突き止められれば給与差し押さえが飛んできます。こうした仕事をする弁護士はたまにおり、陰で「受任屋」と呼ばれていました。
受任通知を受けると、弁護士を通さないで債務者に連絡することは違法になります。少なくとも銀行法とサラ金業法ではそうなっています。日本政策金融公庫法にはそういう事が書かれていないので、こういう案件は弁護士をすっ飛ばして進めてもよいかと上司に具申したことがありますが、やめておけと言われましたね(笑)
破産申立てもされない。財産の処分も進まない。債権者への説明もない。こちらから連絡しても、のらりくらりとかわされる。前の担当者は転勤してしまいましたが、状況が動かないことに腹を立てていたようで「粛々と対応すべし」という引継ぎがなされていました。
そういうわけで、担保の不動産は債務者に有利となる可能性のある任意売却(不動産業者を通じて売却先を探すこと。高値になりやすい)ではなく、競売(裁判所が入札によって強制的に売却する手続き。安値になりやすい)が進められていました。会社の機械や備品もほったらかしです。引き取り先を見つけてきても代理人弁護士が動かないので、売ることも出来ません。
窓ガラス越しに見えたもの
当時の私は、債権管理の仕事を本格的に担当し始めたばかりでした。競売という制度について、知識としては知っていました。しかし、実際に競売物件を見に行くのは初めてです。ある日、上司に連れられて、その担保物件を見に行くことになりました。
物件は、ごく普通の一軒家でした。家主である社長は、すでに退去していました。鍵がかけられており、中へ入ることはできません。ですが、上司は勝手に敷地内に立ち入り、隣地との境界を確認したり、書類と建物の形を突き合せたりといった事を始めたんですね。あわてて私も後を追いました。
窓ガラス越しに、室内が少しだけ見える場所もありました。
そこで、私は見てしまったのです。
人の膝くらいの高さの壁に、子ども向けのシールがたくさん貼られていました。小さな子どもが自分の手の届く高さに、楽しそうに貼ったであろうことは分かりました。
何とも言えない気持ちになりました。おそらく、小さなお子さんがいたのでしょう。この家で、家族と暮らしていたのでしょう。
壁に貼られた子どものシールは、倒産というものが、社長一人だけの問題ではないことを突きつけてきました。会社が倒れるということは、その後ろにある家庭の生活も揺さぶるということです。
おそらく、引っ越しのときに、そのシールを剥がす余裕もなかったのでしょう。あるいは、剥がす気力がなかったのかもしれません。もしかすると、子どもにとっては大切なシールだったのかもしれません。当時、私も子供が生まれたばかりで、大きなショックを受けました。
逃げる奴には容赦が出来ないからね
その日の帰り道だったか、あるいは支店に戻ってからだったか、上司に言われたことがあります。
「連絡もしてこないで逃げる奴には、容赦が出来ないからね」
これはどういう事かというと、債権回収の現場での考え方に基づきます。債権回収局面では、あらゆる手段を使って回収を図りますが、その方針は回収の最大化ではなく「極大化」と表現されます。なんでもいいからとにかく回収するのではなく、取りうる手段の中で最も合理的な方法によって、なるべく多くの金額を回収することが善しとされます。
連絡を取ろうとせず、逃げる債務者に対し、回収の最大化を求めるならば無制限に連絡を取り、1円でも多く回収を図るために労力を割きますが、極大化を目指す場合にはこういう債務者に労力は割けません。その代わり、競売など債務者に不利になる回収手法が取られたり、裁判によって時効を引き延ばし、経済的な再建を阻害する形で回収を図ります。
一方で、真摯に話し合いに応じ、回収の極大化に貢献する債務者に対しては、担保物件の任意売却をもう少し待ってみようか、保証人は連帯保証人ガイドラインに沿って少し回収を甘くしようか、あるいは親族経由で解決金を入れさせ、保証免除をしようかといった策の検討が可能になります。
しかし、本人が消え、弁護士も動かず、財産だけが残されると、すべてが宙ぶらりんになります。私は最初、子どものシールを見て、社長に対して少し同情していました。若くして会社を倒し、家族と住んでいた家を失った。きっと辛かっただろう。逃げたくなる気持ちも、分からなくはない。そんなふうに感じていました。
しかし、上司の言葉を聞いて、少し考え方が変わりました。
大事なのは、倒産しないことだけではありません。もし倒産してしまったとしても、最後まで向き合うことです。経営者にとって、会社の倒産は人生の終わりではありません。事業に失敗しても、生活を立て直すことはできます。再挑戦する人もいます。別の道を歩む人もいます。
しかし、逃げてしまうと経済的な再生は遠くなり、いつ来るかもしれない回収の手におびえて暮らすことになります。時効は延長が出来ますからね?まったく回収のあてが無くても、紙の上で出来る回収作戦はやっているものです。
この案件は、私にとって初めての競売体験でした。制度としての競売を学んだ案件でもあります。しかし、それ以上に、倒産の現場には数字だけでは見えない生活があること、そして、どれほど苦しくても最後の向き合い方が大切なのだということを教えられた案件でした。
