私が公庫を退職してから10年が経過しました。当時の案件には、今でもそのまま話せないことがあります。ですので、このシリーズでは企業名や細かな設定を変え、話せない部分には嘘を混ぜています。実話が六、作り話が四。そういう「実録もの」として読んでいただければと思います。
今回お話しするのは、浜松市にあった雑貨卸売会社の話です。会社名は「小豆餅商事」としておきます。もちろん仮名です。
卸売業の再生
小豆餅商事は浜松市内に本社を構える会社でした。リーマンショックの直後から業績が悪くなり、苦しい状態が数年間続いていました。
卸売業というのは、商品を仕入れて売ればよいというだけの商売ではありません。どこに需要があるのか。何を、誰から仕入れ、誰に売るのか。商機を見つけ、ときには自ら商機を作り、商流を組み立てていく必要があります。同じことを続けていて業績が悪いのであれば、何かを変えなければなりません。私は社長に会いに行き、これから会社をどうしていくか、一度きちんと話を聞くことにしました。
面談の初めは、普通の経営相談でした。社長も、新しい商流を作っていくという話をしていました。ところが、だんだん話がおかしくなってきたのです。
謎の「宮様」
社長の話に、皇族の隠し子だか末裔だかという人物が登場しました。有栖川宮だか白仁王だか社長がなんと言っていたのかもう覚えていませんが、その人物がこのたび皇籍に復帰するのだというのです。そして社長は、その皇籍復帰を支援する団体に入り、仲間を増やしていくのだと言いました。
ここまででも、経営相談としてはだいぶ横道にそれています。雑貨の卸売会社が新しい商流を作るという話だったはずなのに、いつの間にか皇族の復帰運動になっている。しかし、社長にとっては、それが新しい事業の話だったようです。団体の構成員が、新しい構成員を連れてくる。すると会に入会金が入る。皇室の中にもその人物の復帰を支援している方がおられ、そこからお金が出る。仲間が増え、団体が広がるほど、構成員はどんどん豊かになる。そういう説明でした。要はマルチ商法です。
少なくとも社長の説明を聞く限りでは、雑貨を誰かに売って利益を上げる話ではありません。人を連れてくるとお金がもらえ、その人がさらに人を連れてくることで皆が儲かるという話です。そこに「皇室」という看板が付いているだけでした。
困ったな、と思いました。こちらは融資先の社長と面談している立場です。「社長、それはマルチでしょう」と、思ったことをそのまま言うのもなかなか難しい。どう話を戻したものかと考えながら、説明を聞いていました。
お手軽な解決策に飛びついた社長と私
ただ、社長は現実をまったく見ていなかったわけではありません。業績が悪いことも、借入の負担が重いことも分かっていました。そして、本社を売却したいという話をしてきました。売却代金で金融機関に返済し、身軽になりたいというのです。そこまでは、筋の通った話でした。
問題は、その後です。身軽になって、例の皇族の末裔と称する人物の復帰を支援していく。それが社長の考えている次の道でした。
私は、黙って担保売却に応じました。正直に言えば、これ以上関わっていても、ろくなことにならないと思ったのです。本業をどう立て直すかという話をしたかったのですが、社長の関心は、もう別のところへ向かっていました。
本社は売却され、私どもへの借入は完済になりました。債権がなくなれば、担当者としての関わりも終わります。私もまた、会社の本質に関わることを避け、債権者としてお手軽な解決策に飛びついたのです。
弁護士からの照会
その後数年して、小豆餅商事は倒産しました。例の団体がどうなったのか、社長がどこまで活動したのか、私は知りません。その怪しい話が、直接の倒産原因だったかどうかも分かりません。
ただ来たのは、弁護士からの照会状です。小豆餅商事に対してまだ債権が残っていないかという確認です。何年も前に完済されており、債権はありませんと回答しました。それで、この案件は終了しました。
業績が悪くなると、怪しい話が本当によく寄ってきます。本業ではなかなか利益が出ない。返済も苦しい。何とかしなければならない。そういう時に、今までとはまったく違うところから、簡単にお金が入るという話が現れる。普段なら聞き流すような話でも、苦しい時には、活路に見えてしまうのかもしれません。
小豆餅商事の社長も、会社を何とかしたいという気持ちはあったのでしょう。しかし、新しい商流を作る話と、人を勧誘すればお金が入る話は、ずいぶん違います。経営が苦しい時こそ、誰が何に対してお金を払うのかを、よく考えてほしいと思います。立派な名前や大きな看板が付いていても、それだけで商売になるわけではありません。会社を立て直そうとしているところに、別の落とし穴が口を開けている。企業倒産の現場では、そういう話も珍しくないのです。
